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ほっこりな日*

 

大学の恩師がお亡くなりになり一年。

先日ですが、六名で先生のところにお会いしに行きました。

 

最近では、すっかりご主人様と仲良くさせていただいている私達。

本当なら先生とご一緒に住むはずだった新しい新居に先生はいないのですが、まるで先生が今でもいらっしゃるかのようなお部屋*

 

先生だったらきっと、こうにするとイメージしながらお部屋を整えていらっしゃるとのこと。 とても素敵なご主人様です。

 

そして、いつも素敵なテーブルセットで迎えてくださり、私達いつも感激です。

 

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この日のバックミュージックには、フルートとチェンバロのバロック音楽を。

ガラスばりのお部屋からの景色も抜群なうえ、まるで喫茶店にいるかのような居心地の良さです。

 

 

この日帰るとき、外に出たとたん降り出した雨からの突然のゲリラ豪雨。

みんな雨宿りの中、私だけ時間がなかったので一足先に駅に向かう途中、自然と一緒に歩いていたおば様と駅まで帰ることに^^

 

突然の激しい雨に、ついてないわ~! と、おば様はご機嫌ナナメでしたが、色々なお話をしながら10分弱の時間。

駅に着くと、嘘のように雨が止み、私達は可笑しくなりました^m^

 

一度お別れした後、楽しかったので、娘にあげるはずのトマト食べてと渡しにきてくださりました。

 

 

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自分では買わないような高級トマトちゃん。

 

帰りに、また会おうねと♪

会えるかな?

 

そんな夏の一コマ*

 

ほっこりな出来事でした(*^_^*)

 

 

 

 

 

さよならひまわり***

 

 

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先日、お花屋さんに行くと、こんなメッセージがあって、夏の終わりを感じました*

さよならひまわり、また来年ですね^^

 

私の今年の夏は、特に夏らしいお出かけはできませんでしたが、あいている時間で沢山の方とご飯に行けました♪

8月末から秋にかけて、コンクール、オーデション、試験伴奏、たくさんの本番があるので、これからしばらく練習や合わせや移動移動*

少し体調も崩してしまったので、健康管理に気をつけて過ごしたいと思っています♪

 

 

 

 

 

 

 

 

∮演奏会のお知らせ♪

 

澤田エリザ 〝マリアカラスの愛した 魅惑のオペラアリアコンサート〟

 

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ソプラノ 澤田エリザ

ピアノ  高橋牧子

 

2014年9月26日(金)

鎌倉生涯学習センター きららホール

15:00開演 14:30開場

 

 

【プログラム】

 

オペラ「ノルマ」より〝清らかな女神よ〟(ベッリーニ)

オペラ「ジャンニスキッキ」より〝私のお父さん〟(プッチーニ)

オペラ「セミラーミデ」より 〝麗しい光が〟(ロッシーニ)

オペラ「パリアッチ」より〝鳥の歌〟(レオンカヴァッロ)

オペラ「喋々夫人」より〝可愛いわが子よ〟(プッチーニ)

 

※プログラムは都合により変更になることがあります。

 

 

 

鎌倉市小町1-10-5

TEL 0467-25-2030

JR 鎌倉駅東口徒歩3分

入場料 2,500円 当日券3,000円(全席自由)

 

 

∮けやきホール・演奏会♪

 

8月23日 けやきホールでの日本歌曲演奏会、終わりました。

 

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日本歌曲を深く研究されている会に携わることは初めてだったので、出演者でもありながら興味津々の演奏会で、充実した曲目と内容だったので他の方の演奏も楽しみにしていました。

 

 

私達の演奏は、表現力豊かな聖子さんと、〝空家の風鈴〟では少し客席から笑声もあり、客席の緊張感が和む空間もありました♪

 

他の方が演奏された「石川きんえつ・抒情詩の世界」という曲目があるのですが、リハーサルには、石川きんえつ氏ご本人様もいらっしゃって、リハーサルから本番と同じくらいの緊張感でした。

例えば山田耕筰や北原白秋など、私達が普段演奏している多くは、もうお会いすることができない昔の作曲家や詩人の曲が多い中、日本歌曲として残っていく曲を現役で作られている方に見守られる中での演奏会、とても貴重な経験をさせていただきました。

私自身、日本歌曲の沢山の収穫のあった演奏会でした。

 

私達のひとつ前の方がうたっていた、「やさしいうた 高崎乃里子 詩/大橋美智子作曲」

の曲もすごくいい曲で、演奏直前の楽屋スタンバイ中にもかかわらず、聴き入ってしまいました^^;

ビックリしたことに、舞台からちょうど私の視界に入るところに、大学の授業で声楽レッスンを教えていただいていた先生がいらっしゃいました。

客席は、ほとんど満席。 沢山の方にお越しいただきありがとうございました。

 

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∮Con l’armonia(コン・ラルモニーア)通信 vol.2

 

Con l’armonia(コン・ラルモニーア)通信  vol .2

 

 ∮vol .2 山田耕筰(Kósçak Yamada) ♪ 

■山田耕筰■ 1886 年(明治19年)6月9日-1965年(昭和40年)12月29日

『赤とんぼ』などの童謡でも知られている山田耕筰は、日本の美しい歌曲を沢山残されています。

まさしく今熱い夏の高校野球、甲子園で毎年開会式の入場行進に演奏される『全国中等野球大会行進曲』も山田耕筰が作曲した曲です。

山田耕筰の曲は歌の伴奏で演奏することが多く、「蟹味噌(がねみそ)」 という曲も弾いています。

山田耕筰と北原白秋(作詞)が生んだ数々の名曲の「赤とんぼ」や「この道」「鐘がなります」のような心に沁みる抒情的な曲が多い中、「蟹味噌」は、かなり予想外の曲だったのです。

同じ作曲家とは思えない、新しいタイプの曲だったので「山田耕筰」について調べたく、Con l’armonia通信 vol.2のテーマにしました。

「蟹味噌(がねみそ)」は、白秋の故郷、筑後を題材にした「日本の笛」民謡集の詩により、筑紫潟(九州の有明海)付近でとれるマガ二を生きたまま臼に入れてたたきつぶし、真っ赤な唐辛子をふりかけてあえた蟹味噌(がねみそ)のこと。

私の知っている濃厚なカニ味噌ではなく、かなりピリ辛なイメージです。

 

曲の中の歌詞の二節にも作り方が書いてあります。

「臼で蟹搗(がねつ)き南蠻辛子」(蟹と南蠻辛子(唐辛子)を臼でつく)

 

歌詞の内容は、失恋した女性がヤケ酒していて、地酒のつまみには、この蟹味噌で。

どうせ泣くのなら、失恋で泣くのではなく、唐辛子の辛さで泣きたい。という歌詞に音楽がついています。

出だしの伴奏では、思いっきり臼をたたいている音の表現や、途中では完全に泥酔を表現している伴奏。初めは慣れないに表現にビックリしましたが、今では楽しく演奏しています。

 

山田耕筰が残した作品は、歌曲・童謡・オペラ・交響曲・交響詩・管弦楽曲、朗読の為の音楽・吹奏楽曲・映画音楽・弦楽室内曲・ピアノ曲、合唱曲・軍歌・国民歌、150曲以上の大学・高校・中学・小学校の校歌、JR東海・NEC・丸善書店・化粧品のポーラ・電通など会社の社歌もあります。

やはり、一番活躍された分野は、歌曲や童謡、校歌や社歌も沢山作曲されているように、生涯、歌の作曲に力をいれていました。

校歌や社歌は卒業生や会社の方でないと歌ったり聴く機会がほとんどありませんが、耕筰の作品は私が思っていた以上に様々なところに浸透していた気がしました。 校歌・社歌が耕筰の曲なんて、羨ましいですね!

北原白秋と出会いによって今でも親しまれる童謡の名作を多く残した耕筰ですが、彼の初期の作品は、ドイツ留学で学んだ西洋音楽の壮年期の音楽を基盤にゲーテやハイネ、メリケの詩を取り上げて模索していました。

しかし、日本伝統の文化をとても大切にされた耕筰は、日本には日本語の良さ、伝統があるということで、言葉とメロディーの融合について研究されました。

日本語のアクセントやイントネーションをそのままメロディーに移すということ、日本の伝統音楽のメロディー、音階を巧みに取り入れ、ピアノの伴奏部分芸術性を求め、独自のスタイルを生み出しました。

日本語の抑揚を活かしたメロディーで『言葉の表現するものをそのまま音で表現する』という作曲法です。

赤とんぼ、からたちの花、この道、などの名作が今でも愛され、心に残る音楽の理由がわかった気がします。

彼の作品には、演奏してほしいイメージをはっきりと演奏者に伝えるためにテンポ、リズム、フレーズなど細かい指示を沢山楽譜に書かれてるので、演奏する私達はメッセージとして、演奏するときの手掛かりにもなりそうです。

数々作曲された作品の中、音楽家は歌の曲を演奏する機会がとても多いのですが、管弦楽曲・室内楽曲などは未出版のものが多いことや、自筆譜のほとんどが戦災により焼失してしまったため出版・演奏の機会がほとんどないものが多いことも理由にあります。

山田耕筰は作曲家でもあり、また、ニューヨークのカーネギー・ホールでは自作の管弦楽曲の演奏を、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮をするなど、日本人で初めて欧米でも名前を知られ、国際的にも活動した音楽家でもあります。日本交響楽協会、日本楽劇協会を設立し、日本の洋楽普及に大きな貢献をしてくれました。

耕筰の積年の悲願に「日本での本格的なオペラの上演」と「常設オーケストラの設立」という想いがありました。 一人の力ではどうしようもできない中、音楽愛好家の三菱財閥総帥、岩崎小弥太と出会い、彼のスポンサー、援助によってドイツ留学したり、「東京フィルハーモニー会」という小規模ながら常設のオーケストラを作り、帝国劇場で公演を開始しました。 日本のオーケストラ先駆者でもあります。

 

作曲や指揮だけではなく音楽教育にも力を注ぎ、多数の著書を残していて、学校音楽教科書、声楽や作曲を学ぶ者へ書かれた専門書では日本の音楽教育にも影響を与え、私達が学んでいる西洋音楽の世界を開花させ、土台を作ってくれたとても重要な人です。

私達が今日学んでいる西洋音楽のパイプが全くなかった時代、ベルリンで学んだ西洋音楽を日本に伝えること、普及に情熱をもち続けてくれた人。

今日私達が西洋音楽を学べているパイオニアをしてくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、「山田耕筰の生涯:年表」と、作品の中で「歌曲・童謡・オペラ」と「ピアノ曲」の紹介をさせていただきます。

 

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◆山田耕筰の生涯:年表◆

 

1886年 東京文京区で、医師・キリスト教伝道者の父の下に生まれるが、10歳の時に父を亡くす。

1901年 13歳の時、姉のいる岡山の行き、姉の夫エドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきをうける。関西では関西学院中等部に転校。

1908年 東京芸術大学・声楽科を卒業。

1910年 3年間、三菱財閥の総師、岩崎小弥太の援助を受けて、ドイツ・ベルリン音楽学校の作曲科に留学した。

1912年 ベルリンにて日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲した。

1914年 ベルリン帰国後、岩崎が1910年に組織した「東京フィルハーモニー会」の管弦楽部首席指揮者を任される

1917年 渡米し、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開く

1920年 日本楽劇協会設立。 帝国劇場にてリヒャルト・ワーグナーのオペラ「タンホイザー」の一部を日本初演。

1922年 日本語による日本の歌を生み出そうと北原白秋と雑誌『詩と音楽』を創刊。

1924年 「日露交歓交響管弦楽演奏会」

1925年 日本交響楽協会(現在のNHK交響楽団の前身)を設立。

1926年 40歳の頃、湘南の茅ヶ崎で過ごす。   「赤とんぼ」などの童謡名曲が数々生まれる。

1927年 日本初のトーキー映画『黎明』(築地小劇場制作)の音楽を担当。

1930年 耕作から耕筰へと改名。

1931年 渡仏。

1936年 レジオンドヌール勲章受章。

1937年 相愛大学教授に就任。

1940年 演奏家協会の発足、会長に就任する。オペラ「黒船」を初演。

1941年 「日本音楽文化協会」発足。

1948年 脳溢血で倒れ、体が不自由になる。

1950年 日本指揮者協会会長に就任。    第1回放送文化賞受賞。

1955年 映画 「ここに泉あり」(監督:今井正)に本人役で出演している。

1956年 文化勲章受章。

1965年 成城の自宅にて心筋梗塞により死去。(79歳)

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【歌曲】

・野薔薇(作詞:三木露風)

・唄(作詞:三木露風)

・歌曲集「AIYANの歌」(作詞:北原白秋)- 「NOSKAI」「かきつばた」「AIYANの歌」「曼珠沙華」「気まぐれ」の全5曲からなる。

・からたちの花(作詞:北原白秋)

・蟹味噌(作詞:北原白秋)

・この道(作詞:北原白秋)

・かやの木山の(作詞:北原白秋)

・六騎(作詞:北原白秋)・鐘が鳴ります(作詞:北原白秋)

・松島音頭(作詞:北原白秋)

・中国地方の子守謡(編曲)

・ロシア人形の歌(全5曲、作詞:北原白秋)

・愛する人に(An die Geliebte、作詞:エドゥアルト・メーリケ)

・漁師の娘(Das Fischermädchen、作詞:テオドール・フォンターネ)

・紫(作詞:深尾須磨子)

【童謡】

・赤とんぼ(作詞:三木露風)

・兎のダンス(作詞:野口雨情)

・お山の大将(作詞:西條八十)

・七夕作詞(作詞:川路柳虹)

・砂山(作詞:北原白秋)

・かえろかえろと(作詞:北原白秋)

・酢模の咲くころ(作詞:北原白秋)

・ペチカ(作詞:北原白秋)

・待ちぼうけ(作詞:北原白秋)

・あわて床屋(作詞:北原白秋)

【オペラ】

・あやめ

・黒船・堕ちたる天女

・香妃(未完)

 

【ピアノの曲】 

・『プチ・ポエム集』(全12曲)

・組曲『子供とおったん』

・『哀詩-「荒城の月」を主題とする変奏曲』

・『源氏楽帖』(全7曲)

・ピアノのための『からたちの花』

・『スクリアビンに捧ぐる曲』 – 『夜の詩曲 (POEME NOCTURNE PASSIONE)』  『忘れ難きモスコーの夜』の全2曲。    1917年ドイツ帰りのモスクワ滞在時に聴いたスクリャービンのピアノ曲に感銘を受けて作曲された。

・ピアノ五重奏曲『婚姻の響』

・三重奏曲『まきば 朝昼晩』(フルート、ヴァイオリン、ピアノ)

・「この道」を主題とせる変奏曲(フルート、ピアノ)

 

 

 

20年前の・・・*

 

20年前のワイン*

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20年間がギュっと詰まったワイン。

20年前って何をしていたのかなと思い出しながら、

色を楽しんで、

香りを楽しんで、

味を楽しんで。

美味しかったです♪

 

 

 

 

 

デュフィ展*

 

■鉛筆が奏でる 色彩のメロディー『デュフィ展』■

 

ラウル・デュフィ(1877-1953)はピカソやマティスなどと同時代、20世紀前半にフランスで活躍した画家です。

音楽好きな父親のもと、北フランス、ノルマンディー地方の港町ル・アーヴルで生まれ、パリではマティスやセザンヌに感銘を受けます。

 

デュフィのことを知らなかった私ですが、ポスターを見る度に何となく気になっていた『デュフィ展』。

マティスの絵が大好きな私は、デュフィが同時代にフランスで活躍して感銘を受けていたことを知って嬉しくなりました♪

 

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「色彩の魔術師」といわれているデュフィは、独自の美しい色彩表現や躍動のある軽いタッチで観ているだけでワクワクして幸せな気持ちになる作品ばかり。 パステルカラーの色彩がとっても綺麗でした♪

 

代表作には、高さ10m、幅60mの大作壁画、パリ万国博覧会のために描かれた〝電気の精〟では電気の歴史に貢献した科学者や哲学者など歴史的な人物、エジソンやアルキメデスなど110名が描かれています。

とてもユニークな発想の巨大なパノラマ壁画には、パリの市立近代美術館にあります。

 

 

 

詩人ギヨーム・アポリネールの『動物詩集』ではモノクロ木版画の挿絵を、

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《ギヨーム・アポリネール『動物詩集あるいはオルフェウスとそのお供たち』 クジャク》

 

1909年にはパリで活躍したファッション・デザイナーのポール・ポワレとの出会いでは布地のデザインモチーフを提供し、絵画以外の仕事に集中する時期もありました。

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デュフィの作品は、輪郭から色彩がはみ出してしている作品が特徴なのですが、その後、独自の手法で絵画を表現していきました。

私のお気に入りの作品は、

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オペラ座、ムーランルージュ、エッフェル塔などのパリのモニュメントを背景にドレスを身にまとった女性が描かれている

《マキシム》1950年

 

 

 

音楽愛好家の家族で育ったデュフィは、音楽をこよなく愛していたので、音楽をテーマにした作品が沢山あったのも嬉しかったことの一つ。

尊敬する作曲家、バッハ、モーツアルト、ドビュッシーへのオマージュの作品、コンサートホールでのオーケストラの風景など作品の多くは音楽をテーマにしていました。

 

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《クロード・ドビュッシーへのオマージュ》1952年

 

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ポスターにも使用されていた

《ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ》1952年

 

音楽や楽器の他、南仏の海岸、馬や薔薇のモチーフ、ヨットやレガッタのシーンや社交界など、ポワレのデザインした洋服やドレスに身を包んだ人々も数多く登場しています。

 

デュフィ独自の動きのある輪郭と明るい色彩、そして色彩が輪郭からはみだしている手法は、バラの花びらが朽ちていく様子、葉っぱのゆらぎなど絵画から躍動感を感じることができ、音楽をテーマにした作品では、目に見えない音色、会場の熱気までが絵から聞こえてくるような気がしました。

 

デュフィ自身が絵を書く喜びを色で表現されているそうです。

デュフィの作品は、観ているだけで、そして絵の前に立っているだけで幸せな気持ちでいっぱいになった展覧会でした(^o^)