∮Con l’armonia(コン・ラルモニーア)通信 vol.2

 

Con l’armonia(コン・ラルモニーア)通信  vol .2

 

 ∮vol .2 山田耕筰(Kósçak Yamada) ♪ 

■山田耕筰■ 1886 年(明治19年)6月9日-1965年(昭和40年)12月29日

『赤とんぼ』などの童謡でも知られている山田耕筰は、日本の美しい歌曲を沢山残されています。

まさしく今熱い夏の高校野球、甲子園で毎年開会式の入場行進に演奏される『全国中等野球大会行進曲』も山田耕筰が作曲した曲です。

山田耕筰の曲は歌の伴奏で演奏することが多く、「蟹味噌(がねみそ)」 という曲も弾いています。

山田耕筰と北原白秋(作詞)が生んだ数々の名曲の「赤とんぼ」や「この道」「鐘がなります」のような心に沁みる抒情的な曲が多い中、「蟹味噌」は、かなり予想外の曲だったのです。

同じ作曲家とは思えない、新しいタイプの曲だったので「山田耕筰」について調べたく、Con l’armonia通信 vol.2のテーマにしました。

「蟹味噌(がねみそ)」は、白秋の故郷、筑後を題材にした「日本の笛」民謡集の詩により、筑紫潟(九州の有明海)付近でとれるマガ二を生きたまま臼に入れてたたきつぶし、真っ赤な唐辛子をふりかけてあえた蟹味噌(がねみそ)のこと。

私の知っている濃厚なカニ味噌ではなく、かなりピリ辛なイメージです。

 

曲の中の歌詞の二節にも作り方が書いてあります。

「臼で蟹搗(がねつ)き南蠻辛子」(蟹と南蠻辛子(唐辛子)を臼でつく)

 

歌詞の内容は、失恋した女性がヤケ酒していて、地酒のつまみには、この蟹味噌で。

どうせ泣くのなら、失恋で泣くのではなく、唐辛子の辛さで泣きたい。という歌詞に音楽がついています。

出だしの伴奏では、思いっきり臼をたたいている音の表現や、途中では完全に泥酔を表現している伴奏。初めは慣れないに表現にビックリしましたが、今では楽しく演奏しています。

 

山田耕筰が残した作品は、歌曲・童謡・オペラ・交響曲・交響詩・管弦楽曲、朗読の為の音楽・吹奏楽曲・映画音楽・弦楽室内曲・ピアノ曲、合唱曲・軍歌・国民歌、150曲以上の大学・高校・中学・小学校の校歌、JR東海・NEC・丸善書店・化粧品のポーラ・電通など会社の社歌もあります。

やはり、一番活躍された分野は、歌曲や童謡、校歌や社歌も沢山作曲されているように、生涯、歌の作曲に力をいれていました。

校歌や社歌は卒業生や会社の方でないと歌ったり聴く機会がほとんどありませんが、耕筰の作品は私が思っていた以上に様々なところに浸透していた気がしました。 校歌・社歌が耕筰の曲なんて、羨ましいですね!

北原白秋と出会いによって今でも親しまれる童謡の名作を多く残した耕筰ですが、彼の初期の作品は、ドイツ留学で学んだ西洋音楽の壮年期の音楽を基盤にゲーテやハイネ、メリケの詩を取り上げて模索していました。

しかし、日本伝統の文化をとても大切にされた耕筰は、日本には日本語の良さ、伝統があるということで、言葉とメロディーの融合について研究されました。

日本語のアクセントやイントネーションをそのままメロディーに移すということ、日本の伝統音楽のメロディー、音階を巧みに取り入れ、ピアノの伴奏部分芸術性を求め、独自のスタイルを生み出しました。

日本語の抑揚を活かしたメロディーで『言葉の表現するものをそのまま音で表現する』という作曲法です。

赤とんぼ、からたちの花、この道、などの名作が今でも愛され、心に残る音楽の理由がわかった気がします。

彼の作品には、演奏してほしいイメージをはっきりと演奏者に伝えるためにテンポ、リズム、フレーズなど細かい指示を沢山楽譜に書かれてるので、演奏する私達はメッセージとして、演奏するときの手掛かりにもなりそうです。

数々作曲された作品の中、音楽家は歌の曲を演奏する機会がとても多いのですが、管弦楽曲・室内楽曲などは未出版のものが多いことや、自筆譜のほとんどが戦災により焼失してしまったため出版・演奏の機会がほとんどないものが多いことも理由にあります。

山田耕筰は作曲家でもあり、また、ニューヨークのカーネギー・ホールでは自作の管弦楽曲の演奏を、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団の指揮をするなど、日本人で初めて欧米でも名前を知られ、国際的にも活動した音楽家でもあります。日本交響楽協会、日本楽劇協会を設立し、日本の洋楽普及に大きな貢献をしてくれました。

耕筰の積年の悲願に「日本での本格的なオペラの上演」と「常設オーケストラの設立」という想いがありました。 一人の力ではどうしようもできない中、音楽愛好家の三菱財閥総帥、岩崎小弥太と出会い、彼のスポンサー、援助によってドイツ留学したり、「東京フィルハーモニー会」という小規模ながら常設のオーケストラを作り、帝国劇場で公演を開始しました。 日本のオーケストラ先駆者でもあります。

 

作曲や指揮だけではなく音楽教育にも力を注ぎ、多数の著書を残していて、学校音楽教科書、声楽や作曲を学ぶ者へ書かれた専門書では日本の音楽教育にも影響を与え、私達が学んでいる西洋音楽の世界を開花させ、土台を作ってくれたとても重要な人です。

私達が今日学んでいる西洋音楽のパイプが全くなかった時代、ベルリンで学んだ西洋音楽を日本に伝えること、普及に情熱をもち続けてくれた人。

今日私達が西洋音楽を学べているパイオニアをしてくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。

最後に、「山田耕筰の生涯:年表」と、作品の中で「歌曲・童謡・オペラ」と「ピアノ曲」の紹介をさせていただきます。

 

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◆山田耕筰の生涯:年表◆

 

1886年 東京文京区で、医師・キリスト教伝道者の父の下に生まれるが、10歳の時に父を亡くす。

1901年 13歳の時、姉のいる岡山の行き、姉の夫エドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきをうける。関西では関西学院中等部に転校。

1908年 東京芸術大学・声楽科を卒業。

1910年 3年間、三菱財閥の総師、岩崎小弥太の援助を受けて、ドイツ・ベルリン音楽学校の作曲科に留学した。

1912年 ベルリンにて日本人初の交響曲『かちどきと平和』を作曲した。

1914年 ベルリン帰国後、岩崎が1910年に組織した「東京フィルハーモニー会」の管弦楽部首席指揮者を任される

1917年 渡米し、カーネギーホールで自作を中心にした演奏会を開く

1920年 日本楽劇協会設立。 帝国劇場にてリヒャルト・ワーグナーのオペラ「タンホイザー」の一部を日本初演。

1922年 日本語による日本の歌を生み出そうと北原白秋と雑誌『詩と音楽』を創刊。

1924年 「日露交歓交響管弦楽演奏会」

1925年 日本交響楽協会(現在のNHK交響楽団の前身)を設立。

1926年 40歳の頃、湘南の茅ヶ崎で過ごす。   「赤とんぼ」などの童謡名曲が数々生まれる。

1927年 日本初のトーキー映画『黎明』(築地小劇場制作)の音楽を担当。

1930年 耕作から耕筰へと改名。

1931年 渡仏。

1936年 レジオンドヌール勲章受章。

1937年 相愛大学教授に就任。

1940年 演奏家協会の発足、会長に就任する。オペラ「黒船」を初演。

1941年 「日本音楽文化協会」発足。

1948年 脳溢血で倒れ、体が不自由になる。

1950年 日本指揮者協会会長に就任。    第1回放送文化賞受賞。

1955年 映画 「ここに泉あり」(監督:今井正)に本人役で出演している。

1956年 文化勲章受章。

1965年 成城の自宅にて心筋梗塞により死去。(79歳)

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【歌曲】

・野薔薇(作詞:三木露風)

・唄(作詞:三木露風)

・歌曲集「AIYANの歌」(作詞:北原白秋)- 「NOSKAI」「かきつばた」「AIYANの歌」「曼珠沙華」「気まぐれ」の全5曲からなる。

・からたちの花(作詞:北原白秋)

・蟹味噌(作詞:北原白秋)

・この道(作詞:北原白秋)

・かやの木山の(作詞:北原白秋)

・六騎(作詞:北原白秋)・鐘が鳴ります(作詞:北原白秋)

・松島音頭(作詞:北原白秋)

・中国地方の子守謡(編曲)

・ロシア人形の歌(全5曲、作詞:北原白秋)

・愛する人に(An die Geliebte、作詞:エドゥアルト・メーリケ)

・漁師の娘(Das Fischermädchen、作詞:テオドール・フォンターネ)

・紫(作詞:深尾須磨子)

【童謡】

・赤とんぼ(作詞:三木露風)

・兎のダンス(作詞:野口雨情)

・お山の大将(作詞:西條八十)

・七夕作詞(作詞:川路柳虹)

・砂山(作詞:北原白秋)

・かえろかえろと(作詞:北原白秋)

・酢模の咲くころ(作詞:北原白秋)

・ペチカ(作詞:北原白秋)

・待ちぼうけ(作詞:北原白秋)

・あわて床屋(作詞:北原白秋)

【オペラ】

・あやめ

・黒船・堕ちたる天女

・香妃(未完)

 

【ピアノの曲】 

・『プチ・ポエム集』(全12曲)

・組曲『子供とおったん』

・『哀詩-「荒城の月」を主題とする変奏曲』

・『源氏楽帖』(全7曲)

・ピアノのための『からたちの花』

・『スクリアビンに捧ぐる曲』 – 『夜の詩曲 (POEME NOCTURNE PASSIONE)』  『忘れ難きモスコーの夜』の全2曲。    1917年ドイツ帰りのモスクワ滞在時に聴いたスクリャービンのピアノ曲に感銘を受けて作曲された。

・ピアノ五重奏曲『婚姻の響』

・三重奏曲『まきば 朝昼晩』(フルート、ヴァイオリン、ピアノ)

・「この道」を主題とせる変奏曲(フルート、ピアノ)

 

 

 


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