澤田エリザさんのマリアカラスへの想い♪

澤田エリザさんのマリアカラスへの想い♪

演奏会のチラシ、実は見開きタイプになっていて、エリザさんの音楽、マリアカラスに対する想いのエッセイが書かれていました。

一部をご紹介させていただきます(^o^)

 写真 (6)

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マリアカラスに憧れ続けて30年。 カラスの歌うカルメン、マクベス、椿姫、ルチア・・・初めはわからなかったけれど、聴いているうちに虜になっていたそうです。

メゾ・ソプラノの迫力ある歌から軽い最高峰のコロラトゥーラまで完璧に歌える歌手は他には思い当たらない。

なんでこんなに歌えるのか、エリザさんにとって不思議でもあり、驚きであったそうです。

月日が経っても、今でもカラスへの憧れは変わらず、毎日のようにカラスの音楽を聴き、何時間聴いても飽きることはない。

今は亡き世紀のプリマドンナ、マリアカラス名歌手が永遠に忘れる事なく、聴き継がれていくことを祈るばかりである。

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 当日のプログラムには、恩師シミオナート氏とマリアカラスについての文章もお客様へお届けしていました。

演奏以外のところでも、エリザさんの音楽や今までの想いがお客様に伝わる文章。

何年も月日が経っても、人々の憧れであり魅力的な演奏をされていた歌手カラス。そして、魅了し続けるエリザさん。

ステキな想いです!

私も帰宅してから、ゆっくり読ませていただきました。

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■マリア・カラスとわが師ジュリエッタ・シミオナート■

 

かつて第二次世界大戦後、オペラの黄金時代といわれた時代があった。

黄金のトランペットと呼ばれたテノール歌手、マリオ・デル・モナコや、ハンサムなフランコ・コレッリ、正統派カルロ・ベルゴンツィ、女声では、清楚なレナータ・テバルディ、個性的なマリア・カラス、人気者ジュリエッタ・シミオナート、など多数の素晴らしい歌手達が活躍し、素晴らしい演奏を披露した。

その中でも、マリア・カラスは類いまれなる才能と風貌を持ち、聴衆を魅了した。

 

私は不思議な縁があって、その偉大なる歌手、マリア・カラスの親友であった、ジュリエッタ・シミオナート氏に歌を教えて頂けるという機会に恵まれた。

マリア・カラスは1923年アメリカに生まれたが、元はギリシャ系移民であった。

その後、またギリシャに戻り、声楽を勉強し、15才でオペラデビューしている。

イタリアの会社経営者メネギー氏と結婚後、かの有名なミラノ スカラ座で念願のデビューを果たし、オペラ界のスターとなった。

 

一方、ジュリエッタ・シミオナートは1910年イタリアのフォルリという小さな町に生まれ、サルデーニャ島で育った。声楽を勉強し、20才の時にコンクールで優勝し、ミラノのスカラ座に入ったが政治的背景によりよい役が貰えず、12年間スカラ座の端役ばかりやらされていたが、戦後、やっと名指揮者に認められ、スカラ座で主役を演じ、一晩でオペラ界のスター的存在となった。

通常、スカラ座に入れても役が貰えなければ数年で退団してしまうところ、彼女は貧しい暮らしを続け、12年間も自分の才能を信じ続け、チャンスを待ち続けたのだ。

 

マリアはソプラノ歌手、ジュリエッタはメゾソプラノ歌手という事で、劇場でよく共演した。

プライベートでも親友の仲であった。 親友ではあったが契約したレコード会社が違かったため、一緒に演奏したレコードはあまりないのが残念である。

ジュリエッタ・シミオナートは、世界中(日本にもイタリア歌劇団として数回来日している)活躍したあと、当時、ヨーロッパで有名だった外科医フルゴーニ氏と結婚して寿引退をした。

マリア・カラスは日本にも来日して演奏会を催したが、この日本での演奏会が最後となり、パリの自宅で亡くなった。

最近ではYou Tube でよくその黄金時代の歌手達の演奏の模様を視聴するが、本当にその黄金時代がいかにレベルが高く、素晴らしい演奏であったかを目の当たりにすると、ノスタルジーより失われてしまった素晴らしい芸術の時代を残念に思う。

素晴らしい芸術は人の魂をゆさぶり魅了する。

残念ながら私はマリア・カラスもジュリエッタ・シミオナートも生の演奏を耳にすることはなかったが、日々、音楽を聴きながら、あの煌びやかな黄金時代に思いを馳せている。

 

文:澤田 エリザ

 

 

 


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