∮Con l’armonia(コン・ラルモニーア)通信 vol.3

 

 ∮Con l’armonia通信  vol .3♪

 ■ヴィンチェンツォ・ベッリーニ■

vol.3では、11月のジャン=マルク・ルイサダでの公開講座<http://con-larmonia.com/blog/?p=1477> で気になっていた〝オペラのショパン〟といわれていたイタリアの作曲家、ヴィンチェンツォ・ベッリーニについて書きたいと思います。

☆☆“オペラのショパン”ともいわれた作曲家ベッリーニ☆☆

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ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini, 1801年11月3日 - 1835年9月23日)はイタリアのシチリア島・カターニアに生れました。

病弱の為34歳の若さで亡りましたが、19世紀前期のイタリアオペラにおいて特別の地位を占めた作曲家です。

 ベッリーニの音楽は、イタリア・オペラの理想的な歌唱法のベル・カント(伊: Bel Canto、「美しい歌」) 、最も美しい旋律や優雅な響きを創り出し、イタリア語と旋律がみごとに結びつき音楽がよりドラマ的に表現されています。

息の長い流麗なメロディと情感たっぷりの音楽は聴く人の胸を魅了し、響きの美しさを追求つつ、広い音域、様々な装飾歌唱など表現力を追求するベルカントな歌唱法は現代の名歌手によって今でも受け継がれています。

父親も祖父も音楽家であり、音楽を学ぶ前から感性で作曲を始め神童だったベッリーニ。

若くして世を去りましたが、卒業制作である《アデルソンとサルヴィーニ》のオペラの初演で好評を博し、卒業後25歳にナポリのサン・カルロ劇場のために書いた《ビアンカとジェルナンド》で成功を収め、26歳で《海賊》と相次ぎ成功を収め、若くして一流作曲家の仲間入りを果たしました。34歳の時に《清教徒》をまる一年かけて完成しますが、急病の為この作品を最後に9月23日に短い生涯を閉じました。優美で繊細な旋律のオペラ作品を10曲近く残しています。

1985年から1996年まで発行された5000イタリア・リレ(リラの複数形)紙幣にも肖像が採用されていました。

18歳からナポリの音楽院で学んでいましたが、卒業制作のオペラ《アデルソンとサルヴィーニ》で好評を博した以降、作曲の依頼に繋がったといわれています。

パリでは、ロッシーニ、ケルビーニ、ショパン、リストの音楽家や詩人のハイネなどと知り合います。

ベッリーニの音楽をこよなく愛したショパンは「私が死んだらベッリーニのお墓の傍らに葬って欲しい」と望み、ボーイトは「ベッリーニを愛さない人は音楽を愛していないのだ」と警告し、ワーグナーは「私はベッリーニに特別の偏愛を抱く。なぜなら、彼の音楽は強い真実の感情に溢れ言葉と深く結びついているからだ」と賞賛を惜しまなかったそうです。

名だたる音楽家や芸術家が皆パリに憧れ、パリが最も華やかだった時代に活躍したベッリーニ。

ベッリーニは当時の音楽家、特にピアノの詩人といわれたショパンに大きな影響を与えました。

イタリアとポーランドのロマン派を代表する作曲家、ベッリーニとショパン。

特にノクターンなど、ショパンが作曲した歌うような流麗な旋律は、ベッリーニの旋律と類似点がみられることや、独特のドラマティックな表現法、装飾音符や旋律の動き、演奏のために洗練された技術が必要とされる書法など共通していて、ピアノの楽器を声楽のように歌わせたショパンの作風は、ベッリーニからの影響も大きいそうです。

左がベッリーニ、右がショパンの肖像画ですが、顏も雰囲気も良く似ていると思うのは私だけでしょうか!?

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ショパンは生涯オペラを一曲も作曲しませんでしたが、オペラを非常に好み、その影響はショパンのピアノ作品によく見られます。

ショパンは自分の作品を理解するためには、ベッリーニのオペラを聴きなさい、とよく生徒たちに言ったそうです。

「カターニアの白鳥」と呼ばれ、後に“オペラのショパン”ともいわれたベッリーニ。

パリ近郊で34歳の短い生涯を閉じましたが、1835年にベッリーニが亡くなるまでショパンとは良き友人でした。

オペラの他にも優美で抒情的な旋律を生かしたサロン歌曲も生涯に30曲ほど作曲しています。

そのうちの一つ『3つの室内アリエッタ』の第三曲:Vaga  luna(優雅な月よ)については、ブログで書いたことがあります。< http://con-larmonia.com/blog/?p=1200

 ナポリの王立音楽院に在学中だった1824年の頃の作品。

夜空に浮かぶ月を眺めつつ恋人を想う、甘く優しい旋律の歌です。

◆ベッリーニのオペラ◆

 代表作のオペラには『夢遊病の女』『清教徒』『ノルマ』などがあり、34歳の短い生涯に旋律美に満ちた数々の傑作を残しました。

  • オペラ『アデルソンとサルヴィーニ』1825年
  • オペラ『ビアンカとフェルナンド』初演1826年ナポリ
  • オペラ『海賊』 初演1827年ミラノ
  • オペラ『異国の女』 初演1829年ミラノ
  • オペラ『ザイーラ』 初演1829年パルマ
  • オペラ『カプレーティとモンテッキ』 初演1830年ヴェネツィア
  • オペラ『夢遊病の女』 初演1831年3月ミラノ
  • オペラ『ノルマ』 初演1831年12月ミラノ
  • オペラ『テンダのベアトリーチェ』 初演1833年ヴェネツィア
  • オペラ『清教徒』 初演1835年1月パリ

 

◆マッシモ・ベッリーニ劇場(Teatro Massimo Bellini)◆

若くしてこの世を去ったカターニア出身の偉大なオペラ作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニに捧げられた劇場がシチリア島のカターニアにあります。古く老朽化してしまっていた劇場を壊して19世紀後半に建設が始められ立て直されたのが今の劇場です。劇場の完成記念として、1890年の5月31日にベッリーニ代表作のオペラ“ノルマ”が上映されました。

年中、オペラ、バレエ、コンサートなどが公演されていて、世界中の有名オペラ歌手もこの劇場にて演奏され、ミラノのスカラ座やイタリア各地の歌劇場と共に、国内外ともに重要な劇場とされています。
外観はバロック様式、内部はかなり豪華な赤と金を基調とした美しいロココ風のデザインのようです。

マッシモ・ベッリーニ劇場のホームページ<http://www.teatromassimobellini.it/

◆ベッリーニの家・博物館(Museo Belliniano)◆

マッシモ・ベッリーニ劇場の近くに、約16年間過ごしたベッリーニの生家もあります。1930年5月に博物館として一般開放されるようになり、貴重な彼の自筆のオペラの楽譜なども展示されているそうです。

カターニャに人々にとって誇りだったベッリーニ。以前ブログにも書きましたが、代表作のオペラ〝Norma ノルマ〟という名前のパスタ(シチリアの名産ナスとトマトのパスタ)もあります。ベッリーニのオペラの由来から名づけられたパスタがあることを知ったときは、本当に感動しました。<http://con-larmonia.com/blog/?p=1207

多くのピアニストも、ピアノを演奏していない人も好きな方が多いショパン。

数多くのピアノ曲を残したショパンですが、もしベッリーニとショパンが出会わなければ、ショパンの作風にも変化があったのかな・・・・・・

ショパンが敬愛してやまなかったベッリーニ。

ベッリーニがショパンに与えた影響は思った以上に深く偉大でした。


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