▪バレッツィ邸(Casa Barezzi)

ヴェルディの音楽的才能を見出し、財政的に支援した生涯のパトロン、バレッツィ邸の博物館に行きました。

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ブッセートの中心、目の前がヴェルディ広場でローマ通りにあります。

1日目に行ったとき、何度も目の前を通っていたのに気が付かず、街の人に聞いたら親切に案内してくれました。 下見をしていたにもかかわらず、次の日には間違ってお隣の銀行に入ってしまい慌ててしまいましが、現在はこの館の持ち主は銀行で、その銀行に私は入ってしまったみたいです。

ヴェルディはブッセートの郊外にある小さな村レ・ロンコーレで生まれましたが、豊かな家庭ではなかった為、 ヴェルディは靴屋で働きながら学校に通っていました。

ヴェルディが10歳の時、ブッセートの資産家のアントニオ・バレッツィ氏は、彼の音楽の才能を見出し援助することで、ヴェルディは本格的に音楽を学ぶことができました。

後に、バレッツィの娘マルゲリータの音楽教師としてバレッツィ邸に通っていたヴェルディは、恋が芽生え1836年23歳で結婚します。 二人は、バレッツィ邸の隣に建っている『サン・バルトロメーオ教会』で式を挙げました。

ヴェルディにとってブッセートは音楽家として育ち、新婚生活を始めた場所でした。

 

▪結婚式を挙げたサン・バルトロメーオ教会

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・教会内のオルガン

この教会の学長の代理を務め、ヴェルディもこのオルガンを弾いていました。

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▪バレッツィ邸内

ヴェルディも実際住んだこともあり、バレッツィの娘と結婚したことで、パトロンのバレッツィはヴェルディの実の父親ともなりました。

バレッツィ邸内にはヴェルディとバレッツィ家に関する数々の貴重な遺品が展示されていました。

この部屋だけ撮影可能でした。

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ヴェルディの作品のオペラ衣装の絵。

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▪当時、ヴェルディも弾いていたピアノ

説明をしてくれた係りの女性が、このピアノの音色を少し聴かせてくれました♪

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バレッツィが死去するとき、ヴェルディが枕元で慰め弾いていたピアノでもあります。

ヴェルディのとってパトロンでもあり、家族のような大切な存在だったバレッツィ。

バレッツィの最後の言葉は、“Mio Verdi!Mio Verdi!”(私のヴェルディ、私のヴェルディ)だったそうです。

数々の素晴らしいオペラ、音楽を作曲したヴェルディの才能を見出し、私たちが今日ヴェルディのオペラを観劇したり、演奏することができるのも、バレッツィの支援あってのことに感謝しています。

 


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